ある種の人間に深く刺さった傑作青春マンガ『さくらの唄』。
私はリアルタイムで読んだわけではないが、噂に聞いていた。「刺さる」マンガがあると。
特に内容を知らないまま愛蔵版二冊を入手して読んだのが高校三年生の時。当時私は美大受験を控え美術予備校に通っていた。まさに作中の設定と一緒だったんですよ。美大を目指すような多感な学生時代に同じような舞台の青春漫画を読んで刺さらないわけがない!
ガサツな奴になりたいな
今回のお手本
安達哲先生の『さくらの唄』。どんな作品かはWikipediaに聞いてみよう。
前半部はモラトリアムをテーマに高校三年生である主人公のありふれた日常と学校生活が描かれるが、中盤に差し掛かると一転その裏でじわじわと進行していた主人公の叔父による金・権力・支配・暴力・XXXXが一気に氾濫し、主人公の苦悩と大人の闇の対比が秀逸なタッチで描かれている。
作者曰く「先のことは全く考えずメチャクチャに描いていて出来上がった作品」で、画塾に通っていた経験から発想しているという。 後半に進むにつれXXXX描写が増えていったため発禁になりかけており、最終巻では成年コミック指定がされている。 連載当時はその事も一因となって打ち切りの憂き目を見るが、現在でもカルト的な人気を持つ作品である。
私は上下巻の愛蔵版を手に入れて読んだ。上巻は繊細で内省的な主人公とクラスメイトやヒロインのよる青春群像モノという感じでした。ちょうど美術予備校に通っていた自分と重なり感情移入して読んでいたけど…
下巻は怒涛の展開だった。まったく予想もしないストーリーが繰り広げられていた。PTAから有害図書指定うけたり、通常のコミックス版が成年コミックス指定なのもうなずける内容。読み終わったときには放心状態でしたよ。
というより、ページめくるのがホント嫌だった。キツイ、キツすぎる…この展開…。
美術予備校に通ったことのある人や、美術系の人、もちろん高校生にも刺さることは間違いない。
オレたちぐらいの年になってやたら声がでかいやつをオレは信用しない
人間の深みも生い立ちの哀しみもないガサツなヤツ
『さくらの唄』からの学び
安達先生のマンガの特徴や魅力を分析してみよう。
- 細かいディティールの積み重ね
- 効果的なモノローグ
- 繊細な心理描写
- 物語の漫画的リアリズム
- オッサンとオバサンがうまい
そう、セリフも仕草もモノローグもギャグも、すべては感性だ。
作家のセンスはトレースで盗めないかもしれないが、作家の感性をマンガの絵とコマで表現した結果がつまり紙面だからトレースすることで何か学べるかもしれない。
著者の意図したものや表現しようとしたモノと私が感じたモノが違うかもしれないが自分なりに感じたものを書いていく。
1.細かいディティールの積み重ね
再読してみてまず思ったのが、「すげぇキャラクターが生き生きしてるな!」だった。
ギャグや仕草、表情まで何個も何個も積み重ねてあることによって人物にリアリティが生まれる。やはりマンガはキャラクターか。
2.効果的なモノローグ
基本的に主人公のモノローグを重ねてあるコマが多いんだけど、どれもこれもいいんですよねぇ。難しい言葉使ってるわけでもなく、かといって子供の作文というわけでもなく非常に効果的。いわゆる神の視点のナレーションはそんなに多くない。
この主人公が自分の言葉で、自分の思ってることを大量にかぶせることによって読者が感情移入しやすくなっている。一人称の小説のような効果があるのかもしれない。
レンゲ草の匂い
何年たってもオレはこの匂いをかぐたびに思い出す
この日ざしの角度と出会うたびに思い出す
今日君とこうして歩いていたことを
3.繊細な心理描写
主人公とノヒラの描写を見れば十分でしょう。ちょっとしたことだとは思うんですけど、うまいんですよね。セリフもモノローグも表情も全部うまい。
ヒロインの心理描写や心の中のフキダシがないのも、クライマックスの主人公に対する決定的なセリフに効果的に作用してる。
4.物語の漫画的リアリズム
ムチャクチャなストーリーにリアリズム。安達先生の特徴ですね。
金春夫妻にしても若かりし頃の写真のコマで、二人が芸術系なのが分かる。後半にいつまでたっても美術の道を諦めない主人公に冷たく当たるのも、自分が現実に折り合いをつけたことへの裏返しであり嫉妬なんだ。
やっぱりディティールの積み重ねがリアリズムを生んでる。挙げたらきりがないくらい印象的なコマがある。各キャラクターがリアリティをもって作中に存在してるからあのストーリーでも感情移入できるんだな。
5.オッサンとオバサンがうまい
金春夫妻と近所のおばさん、先生他、とにかく安達先生の描くオッサンとオバサンは最高。
オッサンとかオバサン、おじいさんお婆さんっていうのは描き分けるの難しいんですよ。外見だけでなくていやらしいところや気のいいところもちゃんと描いてて凄いなって思った。これは画力というよりも観察眼だろう。やはり感性か…
いや、そんなこと言っても始まらないからとにかく粘っこく絵にしがみついてみよう。
「ディティールを積み重ねる」これだけ。
キャラクターのセリフも仕草もモノローグも、オッサンとオバサンの描き分けも全部ね。ディティールの積み重ねがキャラクターに深みを与え、ストーリーに奥行きをもたらすんだ。
原稿にかじりつけオレ。
制作メモ
安達先生は学生服のシワを描いて、シワの線の周りを白抜きにして処理している。トレースの良い点は制作過程をなぞることによって描き方を気づけるところ。リバースエンジニアリング?的な。
このシワの処理は山田章博先生の漫画にもよく出てくる。
安達先生はコマの形はほとんど長方形だった。斜めに切ってるのもなく読みやすい。個人的に好きな先生は長方形だけでコマを切ってる先生が多い。
どのコマを抜き出すか迷ったけど、やはりマンガは一つのコマ、絵がどうのより、全体のコマのつながりが大事ですね。特に青年マンガは大コマドーーンの印象じゃないし。
悩まないでよ キミは希望の光なんだよ
関連リンク
講談社BOXというレーベルが始まったときに『さくらの唄』がラインナップにあがっていた。「ほう、講談社もわかってるじゃねーか」って思ったのは自分だけではないはず。講談社BOXは文字通り箱入りの体裁で、箱入りの本が嫌いだから購入しなかったけど、後にめでたく文庫版も出版されkindle版も発売された。
何度も読み返した愛蔵版はボロボロになって崩れたので捨てちゃったんだ。ただ、『さくらの唄』は上下巻の愛蔵版が一番良かったかもしれない。
上巻の青春モノから一転、下巻の転落の物語が表紙でうまく表現されていた。とくに下巻の桜色の表紙が素晴らしかった。不穏な感じがプンプンしていて、表紙だけで胸がざわつく。
表紙は文庫版もkindle版も全然ダメ。何考えてるんだろ?
最初から自分信じてやってればよかったのよ
安達哲先生の作品リンク
・バカ姉弟
安達哲先生の最近の代表作といえばコレですよね。続編も始まりました。
・総天然色 バカ姉弟(1)
・お天気お姉さん
・ホワイトアルバム
・キラキラ
・幸せのひこうき雲
通底するテーマは同じ。純粋だったものが汚れ、傷つき歪んでいく。しかし汚れてしまった自分も純粋なものに癒されるのだ。
・Amazon著者ページ
・バカ姉弟公式ページ
今回はマンガのテクニック的な面からの分析。『さくらの唄』自体の解説はわざとしていない。批評じゃないからね。さらに予備校時代のこととか個人的な思い出もほとんど文章にしていない。両方足したらおそらく20,000字オーバーする。
関係ないけど、夏期講習の時だけ来ていた先生が凄い美人でドキドキしたな…